竹から生まれ、
やわらかく優しく
体を包み込むような肌触りのTAKEFU。

そんなTAKEFU100%で作られる
ストール『和み布』には、
ナファ生活研究所代表の相田氏の
並々ならぬこだわりと、
その思いに応えようとする職人さんの努力によって
作られています。

その物語を、相田氏自ら語ってくれました。

「和み布」誕生物語

―最初に、相田社長自身、和布をどう使っていますか?―

「1年中、首に巻いていますね。
お客様にも、スカーフとして使っていただくことが1番多いと思います。
夏場は汗をかきますよね。
その汗に含まれてる塩分で、肌が荒れたりします。
和布はTAKEFU®︎100%で吸水性も抜群なので、
汗を吸い取ってくれる。
ベタベタせずに快適ですし、
抗菌性のおかげで臭くならない。
冷房対策にもなる。

また冬は、
首元から寒さが入ってきて、
喉を痛め、それが風邪の始まりにもなります。
喉を守るという目的があるんですね。
つまり、
この和布が一年中、
私の体の温度調節をしてくれてるわけです。
温度と、湿度の調整をしてくれ、
健康に過ごせる。
…というのがひとつの理由ですが、
何より気持ちいいですからね。
気持ちいいから巻いてる、
というのが一番大きいかもしれない(笑)。
皆さんに是非、
この気持ちよさや快適さを
知っていただきたいと思います。」 


―『真夏でも、汗が吸い取られて、巻いている方が逆に涼しい』というご感想は、お客様からも多いです。
今回のリニューアルで、変化した点はあるのでしょうか?―


「まず1番にお伝えしたいのは、
『国産の和布になりました』ということです。
何故そこまで国産にこだわったかというと、
この新しい和布を製作する工場に、
想いがあるからです。

その工場は、愛知県の知多半島にあります。
これまではTAKEFUの主軸的な製品である
“守布(TAKEFU®100%の医療用ガーゼ)”を
製作してきた工場で、
加えて和布も作ることになった形です。

何故その工場が特別なのか?
ということをお話しするには、
まずは“守布”を通じた、
その工場との出会いから
お話しなければいけません。
このお話はじっくりしますので、
まずは製品としての変化をお伝えしますね。」


「今までは、
糸を強化する目的でつけたデンプンのりが、
縦糸についたままの状態で製品化していたので、
新品を袋から出した時は少し硬く、
水通しや洗濯をしていくのにつれて
徐々に柔らかくなっていきましたよね。

何故のり抜きをしなかったか?というと、
加工料金を抑え、その分安価で
提供できると思っていたから。

でも実際は、
人がのり抜きをするというのは、
プロが機械でやるよりもやはり難しくてね。
いつまでもあまり柔らかくならない
というお客様もいらっしゃったんですよね。
そこで今回発売した国産の和布は、
のり抜き済みのものを製品にしました。

のり抜きの方法も、“和晒(わざらし)”といって、
薬品を使わずに水で落とすという、
手作業のような方法でやっております。
だから仕上がりがとても柔らかく、
体にも優しいんですよね。
袋から出した時点で、
本来の和布のとても気持ちいい風合いを、
皆様に、一瞬で体感していただける
ということです。
和布の新たなステージという感じがします。」


縫製の変化

―他の変化でいうと、両端の縫製が変わっていますね。―


「はい、これまでの“三巻き”から
“千鳥巻き”になりました。
千鳥巻きというのは、
縁をくるくるっと丸めて留めるやり方。
従来の高級なスカーフの縫製技術なんですね。

三巻は部分的に生地が開きやすいんですけれども、
千鳥巻きは糸が切れない限りほつれにくい。

この縫製は、愛知の工場とはまた別の、
横浜の工場でやっています。
かつて日本が開港した1860年頃、
横浜からシルクのスカーフを外国に輸出して
外貨を稼いだという歴史があります。
その頃の伝統がずっと残っているから、
横浜にはこの“千鳥巻き”という
縫製技術があるんです。」


―“横浜スカーフ”と聞くと、今でもブランドとしてのイメージがあります。製造における様々な段階を、得意分野に合った土地で製作しているんですね。―


「ちなみに参考までに言うと、
横浜がスカーフ。
大阪がタオル。
名古屋がガーゼ。
そういう住み分けがあってね。
これはそれぞれの土地柄を象徴してますよね。
スカーフは横浜のおしゃれなイメージそのもの。
タオルは、だれにでも必要な
生活に根付いたもので、
人が多く活気溢れる大阪の雰囲気に合いますよね。

スカーフとタオルの共通点として、
景気によって売上が上下するということがあります。
タオルも生活必需品とはいえ、
やはり景気が下がると新しいものは買わないのか、
需要が下がるんですよね。

だけどガーゼは、常に必要です。
特に医療用ガーゼは。
大きな儲けにはならなくとも、
ずっとなくてはならない、地道な仕事なんです。
堅実な愛知県人の気質が表れていると、
個人的に感じています。
そんな必需品であるはずのガーゼなのですが、
実際は、安さを求め、輸入物に頼ることで、
名古屋を始めとした国内のガーゼ産業は
かなり衰退してしまいました。
このお話は、冒頭の
工場との出会いの話にも繋がります。」


”やらまいか精神”

―先ほど、この新しい和布を作る工場が特別である、その工場で作ることを目指してきた、というお話を伺いました。―

「そうですね。まずは、
この工場との出会いからお話します。

最初は和布ではなく、
守布(TAKEFU®100%の医療用ガーゼ)
作るために探し、行き着いた工場だったんです。

2010年、TAKEFUでは守布を作ろうという段になり、
ガーゼを作る工場を探していました。
TAKEFUの抗菌性を発見した2001年から、
私はTAKEFUで医療用ガーゼを作ることを
目標にしてきました。

抗菌性があって肌に優しく、
更に蒸れないTAKEFU は、
きっと医療の現場に必要なはずだと。

その目標を、いよいよ実現しよう!と、
ガーゼ工場のメッカである
知多半島の織物組合に連絡をしてみたんです。
『ガーゼを織りたいので、
工場を何軒か紹介をしてください』と。
しかしその返答は、
『今、日本で医療用ガーゼを織っている工場は、
0軒
です。』
という、何とも衝撃的な言葉でした。

その織物組合にはかつて
300軒ほどのガーゼ工場が参加していたんですよ。
それが2010年にはなんと、
ゼロになってました。
つまり、
日本には医療用ガーゼを作る工場が
ひとつもないということです。
かなり驚きましたね。
厚生労働省の発表では、
医療用ガーゼの40%は日本製だと
記されているんです。

だからそれなりの工場があると信じて疑わず、
その日を楽しみに10年間頑張ってきたわけですよ。
無いと言われても、
そのまま『ああそうですか』って、
終わらせられないわけ。
相手は電話を切りそうになっていたので、
『ちょっと待ってください!』って引き止めて(笑)。
『0軒だって言われても困ります、
本当にないんですか?』
と尋ねてみると、
『ガーゼ地の着物を織っている工場は、
いくつか残っています。』と教えてもらいました。

それなら自分の目で確かめようと思って、
車で名古屋から知多半島に入り、
織物組合に向かったんです。
そこで改めて聞くと、
やはり医療用のシンプルなガーゼを
作る工場はもうなくなり、
ガーゼ地の浴衣の生地を織っている工場は
30軒ほどあるとのことでした。

これは2010年当時の数字で、
コロナ前に聞いた時には20軒に減り、
今はコロナの影響もあって
もっと減っているかもしれません。

とにかく僅かではあるけど、
そこならガーゼを織る技術はあるわけだから、
作ってくれるかも、と。
その中から3軒の工場を紹介していただき、
実際に行ってみました。
やはり新しいことをやる余裕がないのか、
1軒目、2軒目はけんもほろろに断られ、
そして3軒目、その工場と出会うわけです。

その工場に行って社長さんとお話する間、
私ずっと話しづめましたよ。
相手に一言も喋らせないでね。
ここまで2回断られたのもあるし、
少しでもひるんだら
こちらの言葉が出にくくなると思って。
相手の顔も見ないで90分、
喋り続けました。

そうして喋り終わったら、
最後にその社長さんが、『やらまいか。』て言ったの。
また断られたな、
と思って相手の顔を見てみたら、
笑っててね。
どっちだろう?と思って、
『やってくれるんですか?』って聞いたら、
また『やらまいか。』って。
やっぱりわからない。
『ガーゼの仕事は利益があんまり出ないですけど、
いいんですか?』って聞いたら、
『そんなの分かってるわい。
竹はツルツルしてるし、織りにくいと思う。
でも、
あんたがこんなにも一生懸命やろうとしてんのに、
断るわけにはいかんやろ。』と。

後で調べたら、三河の地域には
“やらまいか精神”
という言葉があって、やってみようじゃないか!
結果はどうなるか分からないけど、
チャレンジしてみようよ!っていう意味の、
すっごくいい言葉だったんですよね。」


~守布~国産のガーゼにかける思い

―守布はTAKEFUの良心とも言える、
最も重要な製品です。
この工場がなければ
製品化できているかわからないと思うと、
感慨深いです。―


「そこから今に至るまで、
守布だけでなく、神社に納める祓布、
和晒しシリーズも、
その工場で作っていただいています。

これは余談ですが、
この工場で本格的に守布を織り始めたのが、
2011年の1月。
その年は、3月11日が東日本大震災がありました。

実は、
その工場で織った守布が一番最初に使われたのは、
石巻の体育館なんです。
震災があって、
大勢がそこに運び込まれましたが、
固くて冷たい床に寝かされると、
血流が悪くなって床ずれになるんです。
そこに守布を当てて治療していただいたんですよ。

守布が医療用ガーゼに
公式で登録されたのは2018年。
その時はまだ登録はありませんでした。
じゃあなんで使っていただくことになったか?というと、
私はその前日、
3月10日に仙台で講演会をしていたんですね。
そこに整形外科の先生が一人いらっしゃって、
その方は被災を免れ、仙台医師会から派遣され、
石巻の体育館で治療をすることになったんです。

その方から、
『ガーゼを送ってほしい、
みんな床ずれになっちゃう』
と連絡を頂き、反物をお送りしました。

できたてほやほやのガーゼを反物で送って、
現場で切って治療に使ってもらったんです。
その時からずっと、
この守布を作ってくださる工場で、
いつか必ず和布を織りたいと
思い続けてきました。」


―『人が最も痛み苦しむその時に、』というスローガンの通り、守布は必要とされる場所からスタートしたのですね。何故、その工場で和布を作りたいと思ったのでしょうか?―

「やはり、工場を継続させたいからです。
先程の話にも出てきましたが、
日本には医療用ガーゼを作る工場が
ひとつもありませんでした。

厚生労働省の発表にある40%という数字は
どういうことかというと、
外国で織ったガーゼを日本に反物で持ってきて、
カットして封入したり、アルコールに浸したり、
そういう二次加工を日本でやっているものを
“メイドインジャパン”に入れている、
ということのようです。」

―何故そんな状態になったのでしょうか?―

「ガーゼ、特に医療用ガーゼは使い捨てで、
とにかく安価なものが求められます。
そうなると経費などを考えて、
必然的に輸入物に頼るようになっていき、
日本でのガーゼ産業は衰退してしまった
というわけです。

なんと今では、
日本で医療用のガーゼを織る工場は、
TAKEFUの守布を織っている
その一軒しかないんですよ。
つまり、国内で作られている医療用ガーゼは
TAKEFUの守布だけだということ。

我々の守布や、
それを織る工場がなければ、
ゼロのまんまだったわけです。

医療用のガーゼを作る工場が
ひとつもない国って、どうなんだろう?
という気もしますよね。
有事の際、国民の命や健康を守るためには、
なんとしても復活させなきゃいけないし、
継続していかなければいけない。

まずは、
このたった一軒の工場を大切にしなければ。
そういう目標があるからこそ、
TAKEFUの主力商品をこの工場で
作っていただきたかったんです。」

―和布を作ることが、この工場自体の安定にも繋がるのでしょうか?―

「コロナの間、浴衣生地の仕事が激減し、
その工場もやはり大変だったんですよ。

なるべく仕事を出してほしいっていうお話もあって、
それで和晒の生地を織ってもらい、
服を作ったりしました。
和晒の服には背中のあたりに
縫製が入っていますよね。
これはガーゼ用織り材が小幅で狭いからなんです。

その工場は元々
ガーゼ地の浴衣を織ることがメインなので、
それに適する小幅サイズの機械で作れる布に
なってくるわけです。
またいつどのような状況になるかもわかりませんし、
安定した需要のある和布を作るということは、
意味あることかなと思います。」


―和布はオールシーズン使える製品ですし、どんな時代にも溶け込むシンプルさがありますよね。守布と同じTAKEFU®︎100%素材で、象徴的でもあります。―

「とは言っても、今はコロナも終わり、
工場が受け持つ浴衣や手ぬぐいの仕事も
復活していますし、
和布は1日に50メートルしか織れないんです。
和布ひとつが130cmなので、1日40枚も作れない。
“1枚1枚丁寧に”とはよく言いますが、
本当にそういう製品なんですよね。」

―パッケージ化されている綺麗な状態を見ると、大量生産で作ったようなものものにも見えますが、意外と希少な製品だということですね。3,000円(税抜)は安いようにも思えてきます。―

「そうですね。
従来から比べると値段が上がったように
感じると思うのですが、
そういう事情があって国産にしていたり、
のり抜きも水でやっていたり、
縫製も伝統的なスカーフの縫製にしていたり……、
どれもこれもに手間がかかっていて、
1枚1枚が職人仕事になってるわけですよ。
まさに手作りのような製品です。

身に着けて下さる方には
そんな特別さを感じていただけたら
嬉しいですね。」